番外編

「仕方がない属人化」と「イケてない属人化」

(出典:https://unsplash.com/photos/iwv55-_cbpU

今回は、コンサルとして幾つか現場を見てきた経験と、ビジネス書で得た知識を使って、「属人化」について思考実験してみます。


「属人的」と「専門的」はどう違うのか?

ことの発端は、大学時代のバイトの現場で耳にしたある言葉です。

「これは、おれにしかできないことだから」

「これは、私にしかできないことだから」

…この言葉を聞いた時、プラスとマイナスが入り乱れた、不思議な感情になったことを覚えています。

「すげー、長年の経験で培われたスキルってやつか」

「でも、あなたがいなくなったら、どうするのさ?」

…これらの感想を解くために、「問い」の形に変換すると、以下のようになります。

  • 「属人的」と「専門的」はどう違うの?
  • 属人的はマイナスの、専門的はプラスの文脈で使われがちなのはなぜ?
  • 「専門性」を極めると、結局は「属人化」するのでは?

今回はこれらの問いを考えてみます。

どうやら「仕方がない属人化」と「イケてない属人化」が存在するようだ

ここで、恒例の(もはや趣味の)マトリクスで整理してみます。

縦軸は「仕事」と「作業」を取ってみます。
仕事=高付加価値・非定型・非構造的・非連続なもの、作業=低付加価値・定型・構造的・連続なものを指します。

横軸は「属人的」と「標準的」を取ります。

 

このように整理すると、属人化の2つの側面が浮彫になってきます。

下記の図をご覧ください。

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イケてない属人化=「作業」のブラックボックス化

世間一般でいう「イケてない属人化」は、「付加価値が低くてプロセスも決まりきった業務を、特定の人やチームで抱え込んでいる状態=ブラックボックス」を意味します。

こういった業務は「仕事」とは呼びません。「作業」です。

いち早く業務を可視化したり、マニュアル化したり、自動化したりと、本来は「標準化して軽減・削減」すべき対象です。

仕方がない属人化=「仕事」の最適配分

一方「仕方がない属人化」は、付加価値が高くてプロセスも毎回決まりきっていない業務を、個々人の強みや個性に合わせて配分している状態を指します。

例えば、業務改革案件に挑むときは「プロジェクトマネジメントが上手いAさん」「データ分析に長けたBさん」「システムの理解が深いCさん」でチームを組みます。

当然、利害関係者との調整や進捗管理はAさんに、高度なデータ分析はBさんに、システムの構想や設計はCさんに「属人化」させた方が効率的です。

こういった業務を「仕事」と呼びます。

 

働くスタッフ一人ひとりが、目を輝かせながら、自分の個性に合った役割を担っていく。

機械がやるべきことは機械がやっている。

こんな状態が「理想」なんだと、おそらくほとんどの方、100%に近い方がそう思っているはずです。

「イケてない属人化」を引き起こす病巣の正体

では、なぜいつまで経っても、上に述べた「理想」に向かわないのでしょうか?

「イケてない属人化」を慢性化させている病巣の正体は何なのか?

 

結論から述べると、人間の本質である「自己保存」が根底にあります。

下の図をご覧ください。

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「標準化する時間がない」は真因ではない?

まず、標準化の時間がない状況が想定されます。日々の業務が忙しすぎて、標準化に着手できない状態です。

この状況では、どうしても目の前の業務を捌き切ることで精一杯です。

しかし、「標準化する時間がないこと」が要因であれば、

  • 業務の繁忙期が終わる
  • 個々人の業務スピードが経験曲線によって上がる

…などがトリガーとなり、長期的には「標準化」に向かうはずです。

それにも関わらず、「標準化」が進まないのはなぜなのでしょうか?

「標準化するための知見がない」も真因ではない?

標準化したいけど、やり方がわからない状況も当然あり得るでしょう。

WillとMustがあって、Canが不足している状態ですね。

非常にもどかしい気持ちになりますね。

しかし、今、標準化の知見が無くとも、

  • 外部の専門家の手を借りる
  • 標準化のための勉強を自分で行う

…などの努力を行えば、これも長期的には解決に向かうはずです。(当然、とてつもなく大変ですが)

標準化の手法を丁寧に書いた書籍や知見は世に沢山存在するわけですから。

※この本なんかもオススメです。


https://www.amazon.co.jp/dp/4532319021

(くどいですが)それにも関わらず、なぜ「悪い属人化」は残り続けるのでしょうか?

「自己保存」の本能への敗北が真因

「属人化を無くしたくない」

「属人化したままでいい」

「標準化すると自分の居場所がなくなる」

…この感情こそが「自己保存」の正体です。

 

考えてみれば、このロジックは目新しいものでもなんでもありませんよね。

「AIに仕事を奪われる・・・まずい!」といっているのと、本質は全く変わりません。

 

ですが、その気持ちもわからなくもありません。

私自身も、いまだに「Excelを使ったデータ分析や、PowerPointを使った美しい資料づくりはおれの縄張りだ」と思っている部分も、少しあります。

「昔は"仕事×属人的"だった業務」なんかは、特に手放しにくい。

昔はその業務でチヤホヤされたわけですから、中々その成功体験から自由になれない。

ですが「昔は"仕事×属人的"だった業務」は、このVUCAの時代、すぐに「"作業×属人的"な業務」に移り変わります。

数年前までチヤホヤされていたビッグデータすら、もう「幻滅期」に入り、安定期に入る前に陳腐化してしまった…と言われる時代です。

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(出典:https://www.publickey1.jp/blog/18/devops2018.html

そんな状況下で「自己保存」の本能と闘って負けているようでは、どうしようもありません。

まずは、己の中にある「自己保存」の存在を認めて、素直に向き合うことから始める必要があります。

ちなみに、散々述べてきた「自己保存」の存在を解き明かした良書がこちらです。

 「自己保存」のためにも、「謙虚に能力開発」

だからこそ、VUCAの時代で「生き残る=真の自己保存を達成する」ためにも、謙虚に能力開発を続けるしかないのでしょう。

いち早く「仕事×属人化」にマッピングされるスキルを、次々と自分の中にストックさせるかが大事です。

「キャッチアップ力」とも言い換えられます。

何時如何なるときも、謙虚に、変化を「脅威」ではなく「機会」と捉えられる人間でありたいものです。

恒例の、自戒の意を込めて。

  • この記事を書いた人

Yusuke Motoyama

外資系コンサルティング会社を経て、経営大学院に勤務。年間300冊読むなかで、絶対にオススメできる本だけを厳選して紹介します。著書『投資としての読書』。 Books&Apps(https://blog.tinect.jp/)にもたまに寄稿しています。Amazonアソシエイトプログラム参加中。 執筆など仕事のご依頼は、問い合わせフォームにてご連絡ください。

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