BIZPERA(ビズペラ)-ビジネス書評はペライチで

外資系コンサルティング会社を経て、経営大学院に勤務。地元九州への隠居を細々と構想中。書評?感想?読書日記をロジカルに書いていきます。夢は大きく、「ビジネス書コンシェルジュ」になれるよう、頑張ります。

【1枚でわかる】『遅いインターネット』宇野 常寛

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この本で解ける疑問は?

  • インターネットの普及によって失われたものとは?
  • 失われたものを取り戻すための処方箋とは?

 

『遅いインターネット』って?

タイトルが秀逸で、ぱっと見て意味が分からない。

これが、本書を見かけたときに抱いた第一印象です。

遅いインターネットって、Windows98の時代ですか?
…と、意味不明な解釈をしてしまいまそうになりました。

…ですが、いざ読んでみると、実に深い考察が展開された、味わい深い本でした。

まさに、筆者と走りながら一緒に思考していくような本です。

 

決して綺麗に論旨が整理された本ではありません。

しかし、最後には、タイトルの『遅いインターネット』の意味がスッと腹落ちします。

まずは本書を要約した「ペライチ」を見ていきます。

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(画像をクリックすると、PDFが開きます)

本書の内容を要約すると、次のことが書かれていました。

  • いま、必要なのはもっと「遅い」インターネットである。
  • 「遅いインターネット」とは何か?
    それは、速すぎる情報の消費速度に抗って、少し立ち止まって、ゆっくりと情報を理解して消化できるインターネットのことである。
    Google検索の引っかかりやすいところに、5年、10年と読み続けられる良質な読み物を置くことを意味する。
    この運動を担うコミュニティを育成することを意味する。
    自分で考え、書く技術を共有することを意味する。
  • では、なぜ「遅いインターネット」が必要なのか?
    それは、現在のインターネットは人間を「考えさせない」ための道具となっているからである。
    予め期待している結論を述べてくれる情報だけをサプリメントのように消費している。
    「みんなと同じ」であることを短期的に確認することでしか自己を肯定できない卑しい人々が、週に一度失敗した人間や目立った人間から「生贄」を選んで意思を投げつけている。
  • 最後に、どうやって「遅いインターネット」を実装していくか?
    「ウェブマガジンへの回帰」と、「速すぎる」SNSの状況に(批判的に)対応した質の高い情報発信を学習するコミュニティとを連動させる運動を行う。具体的には、SNSなどで「速く」大量に量産されたニュースとは正反対に、時間をかけた調査や検証を前提とした質の高い情報を発信するメディアを興す。
    なお、収益モデルは広告収入ではなく、クラウドファウンディングと購読料にすることで、品質を担保する。

いかがでしたでしょうか。

だいぶエッセンスだけに絞りましたが、本書の結論「遅いインターネット」に至るまでの筆者の思考過程があまりにも綺麗なんです。

  • トランプ政権の誕生とブレグジットの両方に見出せる共通項は何か?
  • 民主主義を半分諦めることで、守る。…とはどういうことか?
  • 21世紀の共同幻想論とは?

…こうした論点を経て、「遅いインターネット」に行きついた筆者の思考の痕跡を是非辿っていただきたい。

強くそう思います。

学び

「書く」とはどういうことか

個人的には、本書の次の部分が深く印象に残りました。

タイムラインの潮目を読むことは簡単だ。その問題そのもの、対象そのものに触れることもなく、多角的な検証も背景の調査も必要なくYESかNOかだけを判断すればよいのだから。

しかし、具体的にその対象そのものを論じようとすると話は全く変わってくる。そこには対象を解体し、分析し、他の何かと関連付けて化学反応を起こす能力が必要となる。

そして価値のある情報発信とは、YESかNOかを述べるのではなく、こうしてその対象を「読む」ことで得られたものから、自分で問題を設定することだ。

(200ページ)

ブログを書く上で、ブレずに心得ておく事項だと思います。

私も、ビジネス書そのものを解体して分析したうえで「ペライチ」に落とし込んでいます。ここは徹底できているつもりです。

そして、単に要約するだけではなく、読み解いたビジネス書の気づきから、新しい問いを立てて、初めて価値に繋がるのだと思います。
…が、ここはまだ不十分です。

新しい問いを立て切るときと、つい挫折してありきたりな気づきを書いて終わってしまうときがあります。

そこで挫折したら、「書いた」とは言えませんね。

まだ世に出ていない「モノの見方」を提示して初めて、「書いた」と言えるのだと思います。

自戒の意も込めて、そう思いました。